空いた契約駐車場を効率運用!スマートパーキング

mokusimoku1616の日記

田舎暮らしをしたい エコな生活推進または車中泊の旅

言霊

言霊

昭和の時代には今で言うと禁止用語が飛び交っていた時代でした。例えば『◯チガイ』 父が良く言っていた言葉は チュウキの刑 どんな字を書くのかわからないけれど 身体が不自由で震えが止まらない人を馬鹿にした言葉ねっ を身振りを交えてよく言っていたわねっ悪びれる事もなく 普通にねっ。で死ぬ間際に自分もそういった病気で亡くなってしまったワケなんだけれどねっ しかも神経はまともだから普通は耐えられない苦痛よねっ

おむつを替えてもらったり、 治る見込みのある患者さんならば病院をたらい回しされ無かったとは思うけれど3ヶ月に1度病院から病院を転々とするのだけれど、ある日お見舞いに確か板橋の、病院で本当に自宅から遠い病院で完全看護だから面倒を見てもらっている看護婦さん(下の世話や水を飲ませてもらったり)なんか雰囲気が違ってて、引き出しなんかにはその人の化粧品なんかがいっぱいにはいってて、今で言うとまぁ虐待みたいな感じで湯たんぽとかで火傷させられたりされてたらしくて、しかも食事なんかも満足に与えてもらえてなかったそうなのねっ私達も中々想像をその頃は超えていてわからなかったんだけど喋る事は出来たから ねっ父も。タカコトだったけれども。言ってもどうにもならなかったから言わなかったのかわからないのだけれども わかってればねっそんな目に合わせた人を変えてもらったり罰を与えてやったり位はしてやりたかったわねっ だから何がいいたいかと言うと発する言葉に宿ると言うのか魂みたいな何かが、差別用語であったり、まぁ上手く言えないのだけれども、本人も趣味も何にもない不器用な人だったから、冗談の一つでも言いたかったのだと思うのねっだけれども方向性を間違ってしまっただけだったと思うのねっ足も不自由になった時に、まだ仕事していて母に、支えられながらじゃ無いと、階段なんか登れなくなっていて、自分より下っ端に馬鹿にされたりねっ。耳も正常に聞こえて筋肉だけが、萎縮する、難病だから難病とは原因が、不明の不治の病の事で何年か前に薬が開発されて父も、生まれてくる時代が遅ければあんな亡くなり方はなかっなぁとは思うのだけれどねっ息を引き取る時に『水が飲みたい』と言うのでアタシが 吸口といってガラスの細いので飲ませて上げたのが最後になって痰が絡むのか喉も細くなっちゃって水でも喉を通るのかって位にみるみるやつれて…死が近いという事が誰にも理解できるような状態だったのねっ。後に母も亡くなって看取る事はできたのだけれど死を見て生きるを知るとゆうのか、あんなに毒親だと思った事があっても、アタシを守ってくれた両親を失う事は本当に悲しくて寂しいわねっ