という表現は本当だとしてもあまりに
言葉として如何なものなのか?私は誰だかと同じ意見で死ねば見えない聞こえないという考えはズルいと思うわけで。残された人が悲しむし、この場合は残された人が責められる事を前提としていたのか 反省してくれという意図があったのかどうかまでは誰もわからない。しかし家族兄弟や血の繋がっている人達のおもいは何かしらある筈で。赤の他人が反省しろとか言ってるのはちょっと違うのかなって思うし。前からこのはてなブログで輪廻について語ってきているのだけれど 何かしらつまづいたらつまづいた所からやり直しされてる気がしてならないわけで。結構それってキツイじゃないかと、だからまた何処かの家庭の赤ちゃんとして始まると考えてての考え方があってですねっいつかは苦しみを乗り越えていかねばならないのではないかと思うのですよ。違ったら違ったでもいいんですけれどねっ。