私の父は私が24の時に他界した。筋肉が萎縮する難病だった。
旦那の父は旦那が5歳の時に追い出されてるから、生きているのか
死んでいるのかもわからない。という訳で父の日に縁がない
まだ過労死という言葉もない時代に、結構バタバタ中年世代が病気になった歴史とは犠牲の上に現代がある 。父の面影は写真か病気の時だけしかないが今の私達を支えてきてくれたのは父の先見の明があってこそだと感謝している。亡くなってはしまったものの、生きてる時の判断が今でも私達の生活を支え続けてくれている。母の様に商売の勝負師ではなかったが
多くを語らないが大きな判断を最終的に下す。死んでも尚見守ってくれているのではないのか?何もしてあげれなかったので、父の日に反省している